付加価値論

相手にとっての自分の付加価値とは?

生きていくためには付加価値をつけて他人の役に立つことでお金を稼ぐ必要がありますが、付加価値の種類は相手によって異なり、仮にインドネシアでITの仕事をしている我々に付加価値があるとすれば、以下のような引き合いが来ると思います。

  1. インドネシアに駐在する日本人は忙しい。
    日々の忙しい会社の業務の中でITまで手が回らないので手伝って欲しい。
  2. インドネシア現法の日本本社の情シスには言葉の壁がある。
    インドネシア語も英語も苦手なのでシステム導入のため意思の疎通のための通訳的役割を果たして欲しい。
  3. 日本のソフトウェアメーカーはコスト削減したい。
    インドネシア市場に商品を売りたいが現地に社員を駐在させるとコストがかかるので変わりに営業活動や導入支援をして欲しい。

このように付加価値とは相手の事情によって内容が違いますが、共通して言えることは「自分には出来ないことが貴方には出来るのでお金払うからやって欲しい」というのが付加価値のあるサービスの本質であるということです。

上の例ではお手伝い、通訳、営業支援、導入支援といったサービスを付加価値として提供することになりますが、自分でやったら一番大変でコストがかかる部分が最も付加価値の高い部分であり、この場合システムの導入支援(インプリメンテーション)という作業は付加価値は高いですが、仕事としては大変です。

付加価値と汎用性

「相手に出来ないことが自分には出来る」ことが付加価値であるとすれば、「相手に出来ないこと」を出来る人が少なければ少ないほど付加価値が高まりまり、逆に出来る人が多ければ、相手は他に出来る人を探せばすむ話なので、必然的に付加価値が下がり、比例して対価も下がります。

「世界中どこででも通用する技術」と言えば聞こえはいいのですが、その技術をもって付加価値を出していこうとする市場は必然的にレッドオーシャンである可能性が高く、相対的な付加価値は低くなりがちです。

このように付加価値と汎用性は反比例の関係にあるとすれば、サービスに高い付加価値をつけるためには、専門性やローカル性を付ける必要がありますが、このような分野は必然的にニッチな市場になりやすく、市場規模は決して大きくありません。

付加価値と時間軸

かつてインドネシアは日本の10年遅れなので、日本で10年前に流行ったものをインドネシアに持ってきて売れば儲かる、という時間軸上でのタイムラグを利用したタイムマシン経営という言葉がありましたが、インターネットの発達に伴う情報のフラット化のおかげで、今ではすっかり通用しなくなりました。

インドネシアにはないもので将来的に需要が見込めるものを、ブルーオーシャンである今のうちに販売する、という方針は正しいと思うのですが、思惑どおり需要が高まった場合には必然的にレッドオーシャンになるわけで、その場合に生き残っていけるかどうかはそこに付加価値を提供できるかどうかにかかっています。

市場には今はブルーオーシャンでも将来的にレッドオーシャンになっていく成長市場と、市場規模は小さいが将来的にもブルーオーシャンであり続けるニッチ市場の2種類があり、ビジネスが難しいのは時代の先読み能力と付加価値を付ける能力の両方が備わっていないと、どちらの市場でも成功できないからだと思います。

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