ジャカルタ州知事選挙とカリジョド

本記事のポイント

在任期間中に汚職摘発などで多くの目に見える成果を出したアホック知事が今回の選挙で負けたことにより、イスラム冒涜というレッテルは未だに選挙で効果があることが証明されました。

経済発展により都市景観も浄化される運命ですが、そこで地域経済の恩恵を受けていた人々は追い出され別の場所で生活を余儀なくされます。

イスラム冒涜というレッテル

嫁さんの教会が中央ジャカルタのCidengから西ジャカルタのAngke地区に移転してしまったおかげで、毎週日曜日の朝は、川面にゴミが浮かびまくるチリウン川(Ciliwung river)とアンケ川(Kali Angke)の岸に立ち並ぶスラム街の景観に心を洗われ、都市整備により強制排除された環状線高架下の瓦礫の層を横目にノスタルジックな郷愁に浸りながら、すがすがしい早朝ドライブを楽しんでいます。

先日4月19日(水)のPILKADA DKI JAKARTA(PemILihan KepAla DAerah)ジャカルタ特別州知事選挙では、2期目を目指すアホック知事が、グリンドラ党やFPIイスラム擁護戦線などの支持を得たアニス候補に敗れたのは周知の事実ですが、自分の周りのインドネシア人の話を聞く限り、イスラム勢力や裏社会をごっそり敵にまわしてもなおかつ4割以上の票を得たのはむしろ善戦したという評価が大勢です。

Season City
Season City前チリウン川のゴミ掃除

コーラン冒涜問題で刑法(Hukum Pidana)に基づいて起訴され、国会での調査権(Hak Angket)発動寸前までいったアホック知事ですが、それでもうちの運転手を含む多くの「普通の」イスラム教徒の中にアホック支持者が多かった理由は、短い任期期間中に反対を押し切ってもやりとげなければならないという政治家としての使命感、信条を貫き通す姿勢が共感されていたからではないかと思います。

今回の選挙結果に対する周りの反響ですが、単純に考えればインドネシアの9割方を占める大勢派のイスラムに対する冒涜政治家というレッテルを貼られ、二元構造が出来上がった中で今回の選挙結果ですから、「正義は勝った」とあちこちから勝鬨(かちどき)が上がっても良さそうなものですが、いまいち盛り上がりに欠け、祭りの後のむなしさというか、「やっちまった感」すら感じます。

アホック知事によるカリジョド地区の浄化

アホック知事はあまりにも敵を作り過ぎた、政治家というのは孤独なものだとあらためて感じた今回の選挙でしたが、都市開発に伴う強制排除を厭わなかったアホック知事の最大の断行が、2016年2月に行われたここAngke地区カリジョドの強制排除でした。

今でこそ川岸の公園敷地内にRPTK KALIJODOというスポーツセンターが建ち、市民の憩いの場と化していますが、自分が19年前にジャカルタに来たばかりの頃、人生観が変わるほどのカルチャーショックを受けたのが今はなき東ジャカルタのKeramat Tengah(クラマットトゥンガ)とここ西ジャカルタのKalijodo(カリジョド)でした。

kalijodo
アンケ川沿いのアンティークな家屋群

クラマットトゥンガは10数年前に撤去されましたが、カリジョドはほんの昨年まで旧オランダ植民地時代から続く、日本であれば警察の地図上で赤い線で囲まれる特殊飲食店の集まる地域として生き残っていたようですが、今では面影すら感じられません。

経済発展により都市景観も浄化する必要があるというのは正論ですが、このままたぶん墓場まで持っていくような思い出がある自分からすると、ここで生活し地域経済の恩恵を受けていた人々の行く先が気になります、などと傲慢で偽善的な日本人という批判覚悟で書いておきます。

ところで10月からジャカルタ州知事に就任するアニスさんは元パラマディナ大学総長、前教育文化相で、豪腕なイメージのアホック氏と対照的に「礼儀正しく理論派」と評価されているようですが、僕の部下の例えによると「ゴミを捨ててはいけない、と言いながらゴミ箱は用意しない人」というのが気になります。

知人の中華系インドネシア人は「うちの嫁はアホック落選で食事も喉を通らない」くらい落ち込んでいたと言っていましたが、今回中華系インドネシア人コミュニティから「不正選挙だー」といった反発はあまり聞こえてこず、むしろ「アホック知事もやり過ぎた」という、しおらしい声すら聞こえます。

経済の90%が人口5%の中華系インドネシア人に占有されていると言われるインドネシアですが、1998年の暴動時に中華系が標的にされたように、少数民族であるゆえの有事の恐怖がDNAに刻まれており、中華系であるアホック氏のジャカルタ州知事就任によってようやく安心して暮らせるという安堵感から一転して、反動で中華系が虐げられるのではないかという逆戻りの恐怖が心の底にあるようにすら感じます。