煩悩をコントロールする方法

本記事のポイント

命日=祥月命日であり、月命日は毎月の日のみが命日と同じ日であり、1年のうちに祥月命日が1回、月命日が11回あることになります。

犬や猫は喜怒哀楽はありますが、自分が何のために生きているのかといったことは考えず、そこで人間だけの中には煩悩が生まれ、人間である限り煩悩を押さえ込むことはできません。

人間である限り煩悩を押さえ込むことはできない

先月実家で祥月命日の法要に来ていただいたいつものお坊さんからこんなことを言われました。

  • 人間は犬や猫とは違って、生きている意味を考える生き物である。犬や猫は喜怒哀楽はあるけど自分が何のために生きているのかといったことは考えない。そこで人間の中には煩悩が生まれるが、これは仕方のないことである。

煩悩とは仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き(汚れ)ですが、人間である限り煩悩を押さえ込むことはできないらしいです。僕はインドネシアで仕事をする中で「なんでお前ごときにこんなことを言われなければいけないんだ」といった差別とも傲慢とも言える思いにたびたび襲われる未熟者ですが、これが浮かぶたびに「いかん、自分は何て未熟な人間なんだろう」という自己嫌悪に陥ります。これまでこういう感情が噴出して悪い妄想を抱く自分に嫌悪感を感じることが何度もあっただけに、今回のお坊さんの言葉には随分救われました。

  • だってにんげんだもの(みつを風)

日常生活で煩悩が発生するのを事前に阻止するのはあきらめるとして、発生した煩悩を別室に離隔してクールダウンさせる必要があります。方法は人それぞれだと思いますが、僕の場合は感情的になった時点で「お前はもう死んでいる」と自分に言い聞かせます。相手が感情的になっても自分が感情的にならないための方法、これは人生のテーマみたいなもので、その時々の自分の置かれた環境に応じて変わってくるのだと思いますが、今日時点での自分なりの方法は相手をかわいそうだと思うことです。

嫌われることを恐れるのは自分が好かれていると勘違いしている証拠であり傲慢ですらある。

敵は内にも外にも居ますが、だいたい自分の煩悩を誘発してくれる人の種類はこんな感じの人ばかりです。

  1. 理屈抜きに敵意むき出しの人
  2. サシで話すときと徒党を組んで話すときの内容が変わる人
  3. 努力の痕跡なく無条件に頼ろうとする人

アンタッチャブルのザキヤマ氏が「嫌われるのを恐れる時点で自分が好かれていると思っている傲慢な証拠だ」と言ってましたが、コミュ障と自認する僕も基本自分は最初から嫌われている、バカだと思われていると思っています。

どうせ嫌われている訳ですから上記の人と対峙する場合にいつも腹の中で考えているのは「こいつらは相応の品質しかない甘ったれの烏合の衆でかわいそうなやっちゃ」ということです。こうなると相手に怒ること自体がナンセンス、逆に相手の境遇がかわいそうに思えて来ますし、相手に一歩譲る心の余裕が出来て、自分から手を差し伸べるという行動に繋がります。仮に相手の術中にはまり謝罪を強いられることがあったとしても、謝って済まないことなんて世の中にはほとんど存在しませんのでどうってことないです。

感情的になって自分のキャラじゃないことはしないこと。すべてにおいて感情的になったら負け。「お前俺に嫉妬しているんだろう」くらい図々しく思うくらいが丁度いいと思います。