バリ島ブティック経営日記

2011/03/19

バリ島のブティック

2004年12月にバリ島デンパサールのRamayana MalとサヌールのDanau Tamblingan通りにブティックをオープンした当初、ローカルファッションがジャカルタのトレンドの約3ヶ月後れになって来る、という独自の調査結果に基づき勝算ありと踏んでいたのですが、実店舗では想像以上に固定費が負担となり、ネット販売に特化するために2007年に閉店しました。

ブティックオープンのきっかけ

2004年12月25日のクリスマスにデンパサール市内のRamayana Bali Mall 3階にブティックをオープンいたしました。

このショッピングモールはジャカルタに本部を置き全国展開しているのですが、Matahari Departmentに比べてちょっとレベルが落ちるイメージがあり、バリ島でもローカル向けリーズナブル価格の商品が並ぶモールとして定着している感があります。

土日の夜には地元のABG(Anak Baru Gude=大きくなりたての子供?中学生から高校生くらいの今風の若者を指す)が3階のゲームセンターに溜まり、あちこちでナンパと喧嘩乱れるどうしようもない活気あるモールです。

クタなど賑やかな地域に比べて日用品や洋服などかなり割安なので、ガイドに連れられた欧米人も結構訪れ、観光地域では味わえない庶民の生活を体感して満足して帰っていきます。

何故このような決して財布が厚い人々が集まるとは思えないモールに出店を決めたかというと、理由はただ一つテナント費用が安いからです。

安いといってもショッピングモール内ですからそれなりの価格(6juta/月)で電気代(30万Rp/月)、人件費(2.1juta/3人)などの固定費をカバーして採算をあわせるためには結構な努力が必要です。

しかし僕はバリ島のローカルファッションが、ジャカルタのトレンドの約3ヶ月後れになって来るという独自の調査結果に基づき勝算ありと踏んだ訳です。

開店準備

オープン予定を2004年12月下旬と設定し、11月初旬から店舗の準備、商品の準備をはじめました。店舗の広さは間口4m奥行き12mの48平米あり、奥から2mのところに仕切りをつけ倉庫兼事務所として利用することになります。

残りのスペースを商品で埋めるためには結構の初期仕入れが必要になります。

はっきりいってオープンを決めたといっても僕は特に大きな貯金があるわけでもなく、資金繰りはなんとかなるさ、といった熱帯特有の楽観的思考の持ち主でした。

テナント費用前金(14juta)、内装費用(約18juta)など次々にやってくる請求書の山にめげることもなく11月上旬に初期仕入れのためジャカルタに飛んだのでした。

来月以降の固定費の支払いは売り上げから捻出する楽観的なスケジュールを立て、手元の有り金全部突っ込む覚悟です。

バリ島で4mx10mのスペース(奥2mは倉庫)にブティックを作るのにどれだけの費用がかかるのか興味ある人は大まかですが下を参考にしてください。

  1. 内装費用(会計台・ラック2台・鏡3台の制作費を含む)19juta
  2. ランプ関連 12.5juta
    ダウンライトカップ @25,000 x 10 =250,000Rp
    ダウンライト電球 @34,000 x 10 = 340,000Rp
    吊り下げランプカップ @70,000 x 5 =350,000Rp
    吊り下げランプ電球 @22,950 x 5 =114,750Rp
    スポットライトカップ @67,500 x 2 =135,000Rp
    スポットライトハロゲン電球 @33,500 x 2 =67,000Rp
  3. ネオンボックス4m 3juta
  4. ショッピングバッグSML各1000Pcs 約11juta
  5. 値段タグ 5000Pcs 1.2juta
  6. プレゼント用オリジナルTシャツ 50枚 1.2juta
  7. 伝票と名刺 230,000Rp
  8. マネキン・ハンガー・ラック 15juta

合計 約60juta

つまりオープン前に以下の費用がまともにかかる訳です。

  1. 準備費用 60juta
  2. テナント費用 72juta/年(初回前金20% 残りを7ヶ月間の分割払い)
  3. 商品仕入れ費用 50juta (1100アイテム)

初回仕入れから従業員採用まで

さて、初回仕入れは約1100アイテム(アクセサリー・ハンドバッグを含む)で50juta前後。

なにぶん初めての経験でジャカルタでの仕入れのノウハウがなく、噂とデマ(「うちは卸の最大手だ」とか「あそこなら半額で買える」とかいうレベルの話です)に右往左往させられながらもジャカルタ中を縦横無尽にタクシーで移動しながら、非常に効率の悪い仕入れを済ませた僕は根拠のない達成感に満ち溢れているのでした。

『買うは易し売るのは大変』なのが商売の常。

約1100アイテムの商品データベースを作成し値段タグをつけるのは気の遠くなる作業ですが、従業員をまだ雇っていない僕は嫁はんと、二人がかりでオープン直前の12月下旬に完了させました。

気まぐれな嫁はんは何度も何度も内装仕様の変更を依頼し、業者さんに疎まれながらも予算をちょっとオーバーしてなんとか店舗が完成しました。

Bali Postの3行広告(3日間掲載で費用10万ルピアでした。ちなみに全国紙Kompasの場合文字数にもよりますが1日25万ルピアくらいです。)に3人採用予定の従業員募集を出し、23日に面接を設定していたのですが面接開始時間午後2時前から応募者が殺到し(といっても30人くらいですが)、面接担当官である奥さんは最後の応募者のほうはCV(履歴書)を読む目も虚ろな状態でした。

人材採用って結構大変なんですね。最終的に倍率10倍の難関を勝ち抜いた選りすぐりの精鋭3人が、12月25日からともに働く仲間に加わりました。

晴れて開店にこぎつける

2004年12月25日くしくも雨季で蒸し暑いクリスマスの日、朝から従業員3人とともに店舗内で開店準備がはじまりました。

低血圧の僕の嫁はんが朝8:00にデンパサールのモールに到着、ということは朝6:30には起きて化粧して自宅を出発したことになり、これは通常9:00に寝室から出てきたら「今日は早いね」と言われる嫁はんにして、半世紀に一度の奇跡として仲間内ではいまだに語り草になっています。

初対面でぎこちないながらも、各自得意分野に分かれてアイロン、商品陳列、タグ付けなどもくもくと仕事が進んでいきます。

お昼過ぎになるとクリスマス(インドネシアでは祝日)ということもありモールの来客が増えだし、シャッター半開きのの下から興味深く我々の作業を覗き込んできます。

気の早いおばさんは強引にシャッターを持ち上げつるしたばかりのブラウスをベタベタ触っています。おいおい・・・・

まだ店内の半分も埋まっていませんがせっかくこれだけ人が集まっているんだから、、、ということでシャッターを開け午後5:00にめでたくブティック開店とあいなりました。

その日は夜の9:00までの4時間ほどの間に60万Rp超の売り上げがあり、出だしとしてはまあまあでしょう。

バーゲンと集客

なにせズブの素人ですから、開店してからは毎日が学習することばかりです。年末から新年にかけては一般的バーゲンの時期でモールは混み合うので、クリスマスの開店というのはスタートダッシュをかけるという意味では、悪い選択ではなかったと思います。

衣類は流行り廃りが速いため年末、新年、中国正月、ガルンガン(ヒンドゥの祝日)・・・・といった具合に、時節に応じてバーゲンを行っていくのが一般的です。

MatahariやCentroのように資本力があるショッピングセンターがバーゲンの広告を華々しく出すのに比べて、Ramayanaはどうも広告が地味というか広告に金を使わない傾向があるようで、バーゲンの時期にはモール内の客足が目に見えて減少します。

Bali Postにオープン時と最初のバーゲン時に広告を出しましたが、確かに「新聞広告を見た」と言って来店してくれるお客さんがいるにはいます。

ただ広告費用1.5juta/3日(約10cmx6cmくらいの四角枠内の広告)の元を取ってくれるほどの成果が見られず、以降は新聞広告はやめてしまいました。

そのかわりお客さんの来店時に携帯電話番号を控えさせてもらい、新着アップ情報やバーゲン情報をSMS(ショートメッセージ)で送るというお知らせサービスを始めましたが、こちらのほうが費用的にも集客力も大きな効果があることがわかりました。

1年後にはお客さんの携帯番号が500件ほどになってしまいSMSを送るだけでも大変な作業となってしまいました。毎回のSMS費用はRP.10万程度です。

昨今では20%引きではインパクトが弱く、30%40%引きにしてはじめてお客さんも購買意欲が沸くようで、初期の価格設定と仕入れ価格の見直しを迫られるようになりました。

当たり前のことですが、安く買ってできるだけ利幅を大きく設定しないと、値引きの時に痛い目を見ることになります。特に衣類はこれでもかというくらい頻繁にバーゲンをやらざるを得ないので、値引きを前提とした価格設定が必要だと思います。

また仕入れもできるだけ高く売れそうなものを安く買うというのが大事だと気づきました。仕入れ時にはどうしても個人の好みが先に来てしまいがちですが、販売予定価格が品質を超えるモノ(最初から判れば苦労しませんが・・・・)を中心に仕入れるのがコツだと思います。

バーゲンで30%引きするよりも「3点買うと1点無料」(だいたい25%引きと同じ)としたほうがお客さんはより注目するし、商品も早く掃けることに気づきました。

やはり「無料」という言葉は人間の購買意欲に火をつける油のような作用をもつのでしょうか、2回目のバーゲンからすべてこの戦略をとるようになりました。

Spring Trunk Show(アメリカ式バザー)

今日はサヌールのフィラに住むアメリカ人、Lenaさんの家で開催されたSpring Trunk Show(バザーのようなもの)に出店参加してきました。

サヌールビーチ沿岸には高級フィラが多数存在し、金持ちや有名人が多く在住していることは聞いていましたが、本日はじめてそのフィラ群の一角に潜入しました。

セキュリティを抜けるとそこは高級リゾートホテルさながらに整備された、一方通行のトロピカルな細い道が伸びており、外部の喧騒からは隔絶された別世界です。

かなり広いコンプレックスで、数えてないけどたぶん50戸以上はあるような感じでした。そしてLenaさんのフィラにお邪魔させたいただいて、まあその広さにびっくりです。

ぱっと見で15アール以上(450坪くらい)ありそうな広大な敷地でこりゃメンテナンスが大変だ、と思いきやお手伝いさんが3人(男1人=庭師兼力仕事 女2人=ベビーシッター兼掃除・洗濯・・・・・・)もいるのできれいに整備されていました。それにしても広い庭、奥にトランポリンまでありました。

うちのブティックの主力商品であるブランドジーンズ(ANTIK DENIMやJUICY COUTUREなど)の出品を依頼されていたので、外人(ここでは僕もそうだけど・・・)にあうビッグサイズを中心に用意していきましたが、予想以上に客の尻がでかくウエストが大きく、ぴったりのサイズのものをあわせてあげるのに一苦労しました。

というのはブランドジーンズって自分のブランド独自のサイズを設定していたりするのでタグのサイズがあまりあてにならないのです。

それでも数時間でジーンズ5本の売り上げがあったりと、クタのブティックのオーナーと委託販売契約を結んだりとなかなか収穫の多い一日でした。参加してよかった。

それにしても、金持ちはいるところにはいるもんですねえ。客のほぼ全部がLenaさんの友人なのですが、類は友を呼ぶというか金持ちは金持ちを呼ぶというか皆さんハイソ(死語?)なこと。

パサールに並んでいるカゴを売っている国籍不明の外人のおばさんもいましたが、客のほとんどがうちのジーンズの銘柄を普通に知っていました。

いつもショップで販売するときは、ブランドの知名度の高さとか愛用しているハリウッドの女優の名前を挙げたりとかしてうちのジーンズのすばらしさを説くのですが、理解してくれるのに大変な労力を要します。

ショップではいつも「なんでここのジーンズはこんなに高いんだ?」と質問されるのに、今日に限っては「なんでこんなに安いんだ?これは本物か?」と聞かれるわけです。

日頃ブティックでなかなかブランドジーンズが売れず辛酸をなめまくっているだけあって、今日は嫁さんもご機嫌で毎日こんな商売したいって言ってます。そりゃそうだ。

ちなみに参加費用はわずか20万ルピア。しかもこれは食事費用(お手伝いさんが握った不思議な味の寿司)という意味合いのもので、主催者は出店者からコミッションをとることはせず、会の趣旨はあくまでも友人同士で楽しいひと時をすごしたいという純粋なもののようです。

アメリカではこの種のバザー(パーティ?なんと呼んだらいいのか)は一般的に行われるようで、友人が友人を連れてきて集まり外から屋台を出店してもらいパーティを開くという日本で言えば異業種交流会、くだいていえば出会い系?みたいなものらしく、欧米人の友人同士の交流風景を出店者という立場から観察できる貴重な体験でした。

閉店後の後始末

1年半ほど続けてきたサヌールのブティックを2007年4月末にて閉店しました。

実店舗での販売の他にインターネットを通じて販売(ネットショップとオークション)していたのですが、実店舗での売り上げが思うように伸びず、ネットでの売り上げの足を引っ張るという当初の計画にはなかった逆転現象がおきてしまったのが大きな理由です。

いろいろ悩みましたが実店舗運営に掛かる固定費により傷が深くならないうちに撤退して、ネットでの販売に特化しようと判断しました。いやはやなかなか商売は難しい・・・。

この店舗は3年契約で借りていますので、現在オーバーコントラクト(残り期間を別の人に又貸しする)の張り紙を出しています。昨日張り紙を出したばかりなのに、今日さっそく2人の問い合わせがきました。

そのうちの1人はすぐにでも契約しそうな勢いでしたが、支払い条件が折り合わず現在ペンディングになっています。爆弾テロ後、バリ島の商業環境は全体的に大きな痛手を負っているので、賃貸料3年分まとめて支払うことができる人ってあんまりいないかも。やっぱ新規開店を計画している外人さん狙いですかね。

昨日「For Rent」の張り紙を貼ったばかりなのですが、以前ホームバザーでお世話になった在住アメリカ人のレナさんが偶然張り紙を見たらしく「何で閉めるの?」とSMSを送ってきました。

さっきまで助手席で眠そうにあくびしていた嫁さん、このSMSの内容を見るやいなや、一瞬目がキラリと光り早速なにやら試行錯誤しながら返信を書いていました。

「業績不振でジャカルタに引っ越すことになったので仕方なく閉めるの(見栄っ張り)。引越し荷物を軽くしたいので在庫品買わない?安くするわよ。」

うちの嫁さん、ハイエナ並の嗅覚で見事ブランドジーンズの在庫の委託処分契約を締結しました(パチパチパチ)。欧米人コミュニティに顔が広いレナさんが、まとめて売りさばいてくれるそうです。うまくいくかどうかわからんけど、在庫調整程度に減らせれば万々歳です。

マネキンやハンガーだけが残され商品が消えてしまった店内の風景です。半分閉めたカーテンの外から西日が差込む中、整頓されたマネキンの無機質感がなんともいえないコントラストをなし、寂しさというよりも先日までの喧騒の余韻が感じられるような、どこか暖かささえ感じられる不思議な写真です。

閉める店あれば開く店あり、今日うちの対面に欧米人がブティックを開いたばかりです。うちの二の舞にならないようにがんばってください。草葉の陰から応援してます(棒読み)。

従業員解雇の大変さ

インドネシアで会社をクビになることを「PHKされる」(Putus Hubungan Kerja 「ペーハーカー」と発音)といいます。雇用時に提示される就労条件を、労働法に鑑みてどのように解釈するかが非常に難しく、労働組合によるデモが頻繁に行われます。最近も労働法の改正(退職金の削減)が行われたため、大都市では大規模なデモが毎週のように発生しています。

以前、ジャカルタに住んでいた時は、毎日のように発生するデモによって引き起こされる大渋滞に辟易していましたが、バリ島に引っ越してきてからはTVのニュースで他人事のように見ているだけでした。

バリ島ではデモのおかげで渋滞に巻き込まれるといった経験はいまだにありません。ウパチャラ(宗教儀式)渋滞はしょっちゅうですけど・・・・。

ちなみに会社組織ではない個人商店でも、ある程度長い期間働いてくれた従業員に辞めてもらうときには、ねぎらいの意味もこめて、いくばくかのお金を渡すのが慣習となっているようです。うちのブティックは会社とは切り離して嫁さんの個人事業という位置づけです。

さて先日閉店したこのブティックで、たった4ヶ月間ですが足を引っ張ってくれた働いてくれた給料泥棒従業員の父親が「なんでうちの娘に退職金渡さないんでぃ  ゴラァ」と脅迫まがいの怒りの電話をかけてきました。

まあここでは書けないような物騒で下品な言葉をいろいろと浴びせてくれた訳ですが、後味の悪さを残さないために先日直接この親父と面談してきました。

時は月曜日のお昼下がり、舞台はもぬけの空になったブティック跡地。財布とか携帯とか身の回りの金目のものすべて車に残して(強奪されるとイヤだから・・・・)荒野の決闘さながらに、結構緊張してその時を迎えました。

一応机の下にはいざというときのための鉄パイプ(ジーンズのディスプレイ用ですけど・・・)を忍ばせてたりしました。前夜、しっかりこれで素振りもしてイメージトレーニング済みです。いざ出陣!(あほ)。

前夜は電話口で壊れたラジオのようにわめきちらし、かなり凶暴な人物だと察せられた親父さん、会ってみると意外にも結構まともでした。前日の非礼を詫びるやいなや、小一時間泣き落としをくらってしまいました。

「家賃の支払いが2ヶ月溜まってて・・・」「下の娘が学費が払えない・・・・」「もう何ヶ月も仕事が見つからない・・・・」 etc.

最悪の場合としていきなり刺されることも想定していたので、正直全身の力が抜けるくらいほっとしました。本来つっぱねても問題ないケースだと思うのですが、状況が状況だけに1ヶ月分の給料を余分に渡してお引取りいただきました。 あー疲れた。

当地で従業員をクビにするときには状況を見極めて適切に判断(小泉首相の靖国参拝に関する談話のようですが・・・)することが大切だということを痛感しました。また一つ賢くなったかな。

現在空のブティックの店舗にFOR RENTの張り紙を出してから毎日数件問い合わせが来ています。ですが爆弾テロ以降の不景気もあって3年契約で一括払いしてくれる人はなかなか見つかりません。

ロケーションがいいことと価格が安いことで、積極的に借りたいという人はたくさんいるのですが、支払いは分割でいいでしょ♪  Please! 、というお決まりのパターンが続いており、電話がかかってきてもあまり期待しないようになりました。

まあ今のご時世、借主の気持ちは痛いほどわかるので私が大家ならなんとかしてあげたいところですが、なにせオーバーコントラクト(又貸し)ですから3年で借りる人を見つけてくれ、という大家の希望から外れるわけにはいかないのです。

バリ島では家や商業店舗は複数年契約で借りることが多いようです。ジャカルタならほとんどが1年契約なのに、バリ人は保守的な人が多いのでしょうかね?