インドネシアの景況の変遷

本記事のポイント

数年前まではオフショア開発のような日本向け案件をインドネシアでこなすビジネスが注目されていましたが、最近それがほとんどないのは度重なるUMK(Upah Minimum Kabupaten 最低賃金)アップにより、他のベトナムやタイなどの東南アジア諸国に比べて人件費が相対的に高くなってしまったからだと思います。

インドネシア現地法人向けB2B市場、または日本人向けB2C市場は、非常に景気の波を受けやすく、いまのところ比較的ブルーオーシャンでも、2017年に予測されるドイツ発欧州危機が現実のものになり、通貨危機級、リーマン級の不景気がやってくれば、一気に日本人が帰国しレッドオーシャン化する、というのは歴史が証明しています。

おそらくインドネシアで起業したいと思う人の最終目的地は、インドネシア国内向けB2B市場またはB2C市場向けだと思いますが、経済発展に伴いインドネシア人の五感は肥えていますので、かつて言われていた「現地化」「ローカライズ」とか考慮するよりも、日本品質をそのままストレートに出すようなビジネスが主流になっていくと思います。

現在のジャカルタでシステム導入という仕事

インドネシアは日本の製造業にとっての一大生産拠点であり、ジャカルタ周辺には総合商社系の工業団地が複数存在する。

私はジャカルタ中心部のオフィスから、これら工業団地の工場を訪問することが多いのだが、金融危機を乗り越えた2009年11月現在、工場は増産ラッシュ、生産ライン増強で超多忙ということ。製造業に限って見れば景気がいいのは間違いないようだ。

インドネシアの株価はアジアで最も高い上昇率をみせ、他国に比べて比較的安定していると言える。証券会社の数が増え、個人投資がちょっとしたブームになっている。はっきり言ってインドネシア人は「額に汗せずクーラーの効いた部屋でPC1台あれば金が稼げる」というふれこみに非常に弱い。よって個人投資家へのオンライントレーディングの普及は非常に早い。

日本の友人の話では、日経新聞には毎日のようにインドネシア投資の話題が掲載されているということだが、当地のIT業界に身をおく人間からしてみると、そのような動きによる恩恵がいまいち感じられない。もしかして我々だけ蚊帳の外に居るのではないかなどと笑えない冗談が出るほど新規案件をとるのは難しい。IT業界への景気の波は半年遅れでやってくると言われているので、ちょうど来年あたりから受注も増えてくるのではないかと期待している。

現在私は日系システム会社の技術担当という肩書きで仕事をしている。具体的にはERP(統合業務アプリケーション)パッケージや生産スケジューラーのプリセールスと導入、ネットワーク構築作業などである。システム会社といっても自分でプログラムを組むような仕事は非常に少なく、せいぜいパッケージソフトのプラグイン(追加モジュール)を作ったり、スクリプトで簡単なカスタマイズをするくらいである。仕事に必要なものはシステムのハードとソフトに関する知識、生産管理や会計など業務アプリケーションの知識、そしてインドネシア語である。

バリ島で輸出業をしていた頃との比較

2年前まで世界的な観光地バリ島で家具や布製品の輸出業を行っていたが、日本の不景気の影響と供給元を中国にシフトする流れから完全に立ち行かなくなり撤退。以前働いていたジャカルタのシステム会社に出戻りでお世話になっている。180坪のプール付きの家で犬と熱帯魚に囲まれたお気楽な生活に別れをつげ、現在はジャカルタ中心部のアパートの19階から毎朝マイカー通勤する普通の会社員生活をしている。ジャカルタに戻る前はこの生活のギャップに耐えられるだろうかという不安もあったが、住めば都、人間意外とどこにでも適応できるものである。

日本に比べてインドネシアはシステムによるビジネスフローの標準化は随分と遅れている。近年上昇率が高いと言われる人件費も、日本に比べると格安であるため、高額なシステム投資を行うよりたくさん人を雇って人海戦術を取るほうが得というのも一つの真理である。また業務系システムを高額な投資金額に見合うほど使いこなすのは、一定レベルの人材を確保していたとしてもなかなか難しく、結局は業務フローは分断されたまま、ただの帳票出力システムになってしまっているケースも多い。最近は2000年前半に導入済みの高額なERPシステムを、償却期間が過ぎたタイミングでダウングレードして、会計まわり以外はすべてExcel処理に戻すという会社も出ている。

バリ島で独立して仕事をしていた頃に比べて現在の従業員としての立場で一番異なるのは「金の心配をしなくてよい」ことである。不景気の今はなんとか案件を増やして生き延びようというような深刻な会話を日常的交わしていたとしても、結局は「人の金」「人の会社」であり、従業員には会社の業績が良くとも悪くとも自動的に給料が振り込まれる。

ただこういう不景気時の経営者の心情は非常に理解できるつもりではいるので「自分のことより会社の利益を第一に」などと奇麗事は言わないまでも、少なくとも会社の利益とキャッシュフローについてかなり真剣に考えている。要は「利益を出さないと悪いなあ」という気持ちが常に働いているわけである。もともと好きなシステムの仕事ということもあるが、独立して仕事をしていた時に培われたコスト意識が強いので、経営者にとっては仕事熱心で使いやすい社員ではないかと思う。こういうことを自分で言うのは馬鹿みたいだが、被雇用者から雇用者になり、そしてまた被雇用者に戻った心情を説明するのに判り易いと思ったので僭越ながら書かせていただいた。

当地の日本人同士の会話の中で、インドネシア人との付き合い方というのは非常に話題になりやすい。その中でいかに多くの日本人がインドネシア人との付き合いでストレスを感じているかに驚かされる。会社での立場や生活環境によって違ってくるとは思うが、やはり異なる文化環境で育ってきた人達と、日本人と同じような感覚で付き合うのは無理がある。相手の悪いところを指摘してあげて、改善させてあげようと考えることは時には必要なことだと思うが、インドネシア人にこれをやろうとすると自分自身がストレスを抱え込み、かえって関係が悪くなることがある。相手のいいところを見て仕事に能力を発揮してもらう環境を作ってあげれば、意外と自分で考えて動いてくれるものである。

大学のゼミ活動で今役に立っていること

特にゼミ活動を一生懸命やったほうではないが、自分で題材を探しレポートを準備し皆の前で発表するというのは、現在の私の仕事の基本となっている。当地では客先でプレゼンをやる機会がやたらと多いのだが、成否は準備の度合いで決まる。ゼミのレポートもいい加減にやれば先生やゼミ員に突っ込まれたときに堂々と返すことができないのと同じ。入念に準備をしていれば、どんなに突っ込まれたとしても、多少屁理屈ぎみであろうと、堂々と持論を展開できる。それが受注に繋がったときの喜びは格別である。

卒業して随分と年月が経ってしまったが、レポート発表のために不安な気持ちで三田の校舎に向かっていた当時の記憶はさほど昔のものとは思えない新鮮なまま残っている。現役学生によるゼミ活動は既になくとも、OB会に出席できなくとも、このような会報による繋がりがあるというのは心強いものがあります。

そしてチャイナプラスワン以降

2010年以前の日系企業の東南アジア進出の拠点はタイ、シンガポールあたりが中心で、インドシナ半島のいずれかの国に既に生産拠点、販売拠点を持っている会社からすると、インドネシアは東南アジアの次の前線基地として注目されるケースが多い。

他方でこれまで中国を中心に海外展開していた製造業が、チャイナプラスワンという観点から初めて東南アジアにリスク分散先を求めるとき、インドシナ半島を飛び越してインドネシアに拠点を構えるというケースも増えている。

特に国内市場の規模からすると2億4千万人という人口を抱えるインドネシアは大変魅力的である。

日系企業にとってインドネシアの魅力は巨大な国内市場以外に、豊富で安価な人材の活用があります。一般論として決して勤勉とは言えないインドネシア人労働者ですが、最低賃金が2万円に満たない(2012年12月現在)労働市場は、東南アジアの生産拠点を構えるために大量の雇用を必要とする日系製造業にとって非常に魅力的である。

だからこそ2012年になって頻発する労働争議がインドネシアのカントリーリスクとして常態化してしまうことは、労働市場における雇用機会の創出という点からインドネシアにとって大きな痛手になると思う。