関係詞から欧米とアジアの言語文化の違いが垣間見える

2016/05/29

バリ島

疑問詞の塊が名詞を修飾するのが関係詞であり、たまたま先行詞が場所、時間、理由、方法だったら関係副詞でそれ以外なら関係代名詞と呼ばれ、前置詞+関係代名詞は関係副詞に置き換えられます。この複雑なルールをインドネシア語の「yang」という言葉で表現することが可能です。

関係代名詞と関係副詞

中学の英語の授業でおそらく誰もが苦労したと思われる関係詞(関係代名詞と関係副詞)の複雑な解説を、まるっと簡単にインドネシア的適当さでおおらかに包み込んでくれるのが「yang」という言葉であり、おおげさに言うと英語とインドネシア語の違いを超えた、欧米とアジアの文化の違いが感じられる文法ルールだと思います。

中学時代に挫折した関係代名詞と関係副詞について、改めてネットの英文法講座のサイトで見直してみましたが、やはり何故に「関係副詞」と呼ばれるのかいまだに納得できません。

  • 疑問詞(who, which, whom, whose, where, when, what, why, how・・・・)で構成されるカタマリが、名詞(先行詞)を修飾するのが関係詞。
  • 先行詞がplace(場所)、time(時)、reason(理由)、way(方法)だったら関係副詞と呼び、それ以外だったら関係代名詞と呼ぶ。
  • 関係詞はおおよそthatで置き換えられるが、目的格のwhom⇒whoでもOKで、しかも普通に省略される。
  • カンマで区切って関係詞を続けると、先行詞より前の文全体や前の文の一部を指し補足的に説明できる(非制限用法)。
  • 前置詞+関係代名詞は関係副詞で置き換えられる。

インドネシア語なら「前置詞+関係代名詞」もyangでOK

ところがインドネシア語の場合、こんなややこしい英語のルールをyangでつなげるだけで「関係詞何使おうか」とか悩まずすむし「先行詞が関係詞の中でダブった」とかあせらなくてすむのです。

会計システムのお決まりの議論として「この取引は会計システム上でどのタイミングで費用計上されたか」というのがありますが「発生主義会計(accrual basis )では、実際に何月に支払いをしたかに関係なく、費用は支払いの義務を被った月に認識される。」と英語で説明しようとすると結構大変です。

  • In the accrual basis accounting expense are recognized in the month in which you incurred the obligation to pay regardless of which month you actually paid it.
  • *「in which」はwhenでもOK。

英語だと「前置詞+関係詞」とか出てきてとっつきにくいのですが、これがインドネシア語であればyangという言葉で表現します。

  • Di dalam accrual basis accounting, biaya diakui pada bulan yang wajib dibayar secara tertulis, terlepas dari bulan apa dibayar yang sebenarnya.

一見複雑そうに見えますが、英語の文章と決定的に違うのは修飾する対象である先行詞が何であるかを意識することなく、自然に追加情報としてyangの後に続けていくだけで文章が成立することです。

そもそも文法書に書いてある分類の理屈はあくまで後付けでしかなく、英語の関係詞だってやりたいことは補足情報の追加なので、目的さえ達成できれば各論はkaret(ゴム)みたいに柔軟性を持たせておく、というのがインドネシア語の本質なんだと勝手に解釈しています。

関係詞yangの後ろに受動態が来る場合のルール

インドネシア語の動詞には、接頭辞me/men/mem/meng/menyが付く場合は能動態になり、diの後ろに接頭辞なしで付くと受動態になり、目的語を取る場合は接尾語としてkanが付く(一部例外あり)、という大きなルールがあります。

受動態は目的語をメインに配置して説明を加えるので文章のポイントをつかみやすく、ある意味文章に客観性を持たせる効果もあり、インドネシア語では頻繁に用いられます。

ちなみに英語の場合は、能動態で通じる文章をわざわざ受動態に変える意味はあまりなく、受動態が使われるのは特定の動詞の決まり文句としてくらいではないでしょうか?

  • I am interested in Indonesia.(私はインドネシアに興味を持たせられる=興味を持っている)
  • He is supposed to be smart.(彼はスマートだと仮定される=スマートだと思われている)

関係詞のyangで修飾されるのは大抵は目的語ですから、yangの後には主語+他動詞の能動態がくるか、目的語を主語とした受動態がくるかのどちらかになりますが、yangの修飾詞の中身の書き方にはちょっとしたルールがあります。

  1. yangの後ろの動詞の接頭辞は消す。
    Masih ada hal-hal yang harus ditanyakan.(まだ聞かなければならないことがある。)
  2. 大抵の場合目的語になるので動詞に接尾辞kanがつくが、minumなど接尾辞kanをつけると使役の意味がつくような動詞にはke/kepadaと必ずセットで使う。
    Ada obat yang harus saya minum.(私が飲まなければいけない薬がある)
    Ada obat yang harus saya minumkan kepada dia.(彼に飲ませなければいけない薬がある)
  3. 受動態のdiを消して主語を入れると能動態に変化する。
    Masih ada hal-hal yang harus saya tanyakan.(まだ聞かなければならないことがある。)

これは英語にはないインドネシア語独特のルールですが、仮に間違って使ったとしても十分意味は通じますし、なによりインドネシア人は優しいので馬鹿にされることもありません。

情報を後ろに繋げていく言語構造に慣れる

英語の場合、形容詞は名詞の前について意味を付加するという点において日本語と同じですが、長い修飾を行う場合に関係詞で名詞の後ろに情報を繋げていくという点で、日本語と異なる言語構造になります。

短いときは前から、長いときは後ろから修飾する言語が英語であるとすれば、インドネシア語は短かろうが長かろうが徹底して後ろから修飾します。

  • かわいい女の子(日本語)
  • pretty girl(英語)
  • cewek cantik(インドネシア語)

日本語でも英語でもインドネシア語でも、意識を集中していないときには、紙に書かれた文章を読む場合ですら、仮に登場する単語はすべて知っていたとしても、文章の意味が頭の中にスッっと入ってこないことがあります。

高校時代の大学受験のときには「英語の文章を読む際には日本語に訳さず英語で考えろ」とよく言われたものですが、文章を読む際に書かれているその言語で考えられるかどうかは、その言語構造に対してどれだけ頭がなじんでいるかによります。

日本語であれば大して意識せずとも日本語で考えられますが、現代文の問題に出てくるような難解な日本語を読む場合には、自分の母国語である日本語に対してですら、最大限に意識を集中して読まないと頭に意味が入ってきません。

これが英語やインドネシア語などの外国語であるなら、なおさらある一定のレベルまで意識して努力しないと、その言語で考えることは難しいのは当然であり、紙に書いた文章(リーディング)ですらこうなのですから、さらに話言葉(ヒアリング)は何をかいわんやです。

こう考えると「聞き流すだけで英語が判るようになる」という商材の謳い文句は論理的にありえないのではないでしょうか?

情報を後ろに繋げていくという意味で英語もインドネシア語も似た言語構造を持っていますが、繋げ方のルールが圧倒的にあいまいで楽なのがインドネシア語であり、これがインドネシア語は世界で一番簡単な言語と言われる理由の一つではないかと考えます。

(2019年8月追記)インドネシア語に比べて英語が難しい最大の理由は、「Get out!(ゲラウト!)」みたいに、表記(ライティング)と発音(スピーキング)が一致しないことであり、これが英語のリスニングを難しくしているというのが自分の持論です。