普段は敢えて考えないようにしている宗教について

本記事のポイント

日本人がインドネシアで一番最初にぶつかるカルチャーショックは宗教に関するものだと思いますが、どんな宗教でも自己中心的でなく相手の考えを尊重するということが共存のための前提条件です。

そして祈ることで心が落ち着くのであれば、それは理屈抜きですばらしいことだと思います。

無宗教の日本人が宗教必須のインドネシアで生活すること

先週土曜日の夜、ジャカルタで地震がありまして、28階の部屋のダイニングテーブル上のランプが結構な幅で揺れました。僕は元々右耳の三半規管がおかしいので特段の揺れは感じず、ランプの揺れを指摘されてから「おー」という程度です。

一般的に日本人は地震慣れしていますが、インドネシア人は地震慣れしていないので、小さな地震でもかなり恐怖を感じるようです。高層階に住んでいると倒壊とかいろんな悪夢を想像するんでしょうね。

アパート借りるときも地震で倒壊なんてありえないから、と言い聞かせているのですが、実際に揺れてみるとそんな事前情報意味なしです。

で、今回ゆらゆら揺れている間、嫁さんは目をつぶって神様に祈ります。元カトリックで最近クリスチャンに改宗したばかりですが、普段宗教について敢えて考えないようにしている僕には何を祈っているのかは分かりません。

うちの嫁さんが祈る場面は食事前と飛行機が揺れるときと、そして今回の地震のときです。

インドネシア人はKTPに宗教を登録する必要があるくらいですから宗教があるのが普通で、昔インドネシアに来たばかりの頃に「僕は共産主義者だから宗教がないんです」という冗談が、一般のインドネシア人にとってはあまり笑えないものだと知るまで半年ほどかかりました。

オフィスやレストランや駅に当然のようにイスラムのお祈り部屋があり、日系企業であれば「お祈り」という言葉がほぼインドネシア語化している環境に居ても、未だに「宗教とはなんぞや」とか「神の存在」とかについて考えたことはありません。

もちろん宗教とか神様とかは敬う対象だとは思っていますが、うちの嫁さんの言葉を聞くと神様は「依存してもいい対象」というように聞こえるのですが、この感覚がどうしても理解できないのです。

だから日本に一時帰国するとだいたい神社に参拝しますが、頭の中で考えることは「無事に過ごせてありがとうございます。また今年一年安全でありますように」くらいなもんで、特にお願いごとをするような感覚がありません。

他人の宗教は尊重するし敬いもしますが、だからと言って毎週日曜日の教会での礼拝に時間を取られるのは損じゃん、寄付だけでも結構な額になるし、ブツブツ、という不謹慎なことすら考えることがあります、神様許して。

祈ることで心が落ちつくのならそれで十分

ただ今回地震で揺れる28階のアパートの部屋で嫁さんが祈る姿を見て感じたのは「祈ることで心が落ち着くのであればそれだけですばらしいことじゃないか」ということ。

飛行機が苦手な嫁さんは、気流で揺れると手のひらが汗びっしょりになるくらい緊張しています。そんなときに祈ることで気持ちを静めることができるのは、それだけですばらしいことだと思います。

僕は軽い高所恐怖症と閉所恐怖症ですが、恐怖を感じたとき祈る対象がないのでじっと我慢するしかないのですが、信仰があれば祈ることで気持ちが救われるのかもしれません。

今後も自分が特定の宗教に信奉する状況を想像しにくいのですが、相手の信仰を尊重し敬う気持ちの大切さを、今回の地震で気づかされました。