インドネシアの革命の思い出

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1998年のスハルト政権退陣後のインドネシアの流行語は、Reformasi(革命)の後にkrisis moneter(金融危機)がやってきて、国が傾きかけたときに自然発生した3つ目の流行語がCinta Rupia(ルピアを愛そう)という、素直に国民感情を代弁する秀逸なものばかりでした。

1998年暴動の思い出

ショスタコビッチの第5番「革命」の第4楽章は非常に有名な曲で、レナード・バーンスタイン指揮の東京公演のやつが有名ですが、新し目のところでは「題名のない音楽界」のMCやってた佐渡裕さんがベルフィルを指揮したやつが厳粛さとスピード感があって「革命」のイメージに近いと個人的には思います。

インドネシアの革命と言えば初代大統領スカルノからスハルトに変わった1965年の9月30日事件が有名ですが、直近では1998年のBBM値上げをきっかけに激化した学生運動とそれに乗っかった暴動でスハルト政権が退陣したReformasi(革命)です。その後やってきた経済危機はKrisis moneterという言葉として社会現象と言っていいくらいの流行語になりました。

この時期に暴動に巻き込まれたり、軍や警察の発砲によって犠牲者があったことは悲しい出来事として記憶に残り続けると思いますが、その現場に敢えて居合わせたいという観光客気分の抜けない外国人には事の重大さは理解できません。

日本でPUFFYの「アジアの純真」を聞きながら「どこかアジアで仕事してみたい」というワクワク感を持ってやってきた自分にとってみれば、不謹慎を承知で言わせてもらうと、スディルマンを行き交う装甲車を見ても、投石でボコボコになった商店街を見ても「アジアってすげー」と気分が高揚するだけ。

そこで多くの犠牲者が出たんだぞーと言われても、当時は蚊に刺された程度の感情しか起きなかったというのが不謹慎ながらも正直な気持ちでした。

だから客先の銀行からクニンガンまで暴徒を避けながら逃げた時も、暴動の翌日にオジェックをチャーターしてコタの投石と略奪状況を見物に行った時も、アトマジャヤ大学前のデモ見物中 警察が突然発砲しだしてノートPCで頭かくしてビルの裏に逃げた時も、実際楽しくて仕方なかった。

今だったら怖くて国外脱出しているかもしれなません。

インドネシアの流行語は素直に国民感情を代弁する秀逸なものばかりだと思います。Reformasi(革命)の後にkrisis moneter(金融危機)がやってきて、国が傾きかけたときに自然発生した3つ目の流行語がCinta Rupia(ルピアを愛そう)です。

革命は静かにやってきてある時点からヒートアップして急展開します。そして革命のエネルギーは最終的に国への愛情に向かうもの、これが先の日本の国会議事堂前での「革命」行動の映像に感じる違和感の理由なのかもしれません。