インドネシア人は日本人より生活力が高いということ。

本記事のポイント

インドネシアでは収入とか教養とかよりも重要なのは生活力であり、生活力を測るには組織を出て独立したときに、いかに生活の手段を確保できるかということです。

その点ではインドネシア人はアパート賃貸収入、株式投資、フリーランスの仕事など、本業以外にサイドビジネスを持っており、日本人より生活力が高いと思います。

組織の中に居ると生活力が減退する

さっきGrand Indonesiaで昼飯食って買い物して、台湾スイーツで一服して、なんだかんだで週末に飛んでいくお金の額はエライことになっています。そこでふと思ったのですが、普通のインドネシア人って1ヶ月どうやって生計を立てているんだろうということ。

僕の部下連中は平均的なインドネシア人に比べれば間違いなく高給取りに分類されると思いますが、今のジャカルタの物価水準の中で生活するには決して贅沢ばかりはできない金額です。

彼らは副業を持っており、会社の仕事が本業なのか副業なのかどっちか分からないレベルの人間も居ますが、その一方で安く生活する知識と知恵も持っています。こういうのを全部ひっくるめて生活力と言うとすれば、インドネシア人の生活力は日本人より圧倒的に高いと思います。

さっきいつも利用しているランドリーのお兄さんがYシャツ届けに来ましたが、20代前半と思われるこの小汚い兄ちゃんは零細経営ながらスタッフ1人を雇用してランドリービジネスを営んでいます。

教養とか収入とか資産とかいう面で言うと自分はこの兄ちゃんよりたぶん上だと思いますが、明日世界の終わりの一歩手前くらいまで国土も経済も崩壊したとき、より長く生き抜くのは間違いなくこの兄ちゃんのほうだと思います。

組織の中に守られた環境で仕事をしていると、仕事の成果は自分一人で成し遂げたような錯覚に陥りますが、その成果を生み出すために他の構成員が歯車のように連動して役割を果たしています。

ただし勘違いしているようで実は心のどこかで不安を感じています。「会社無くなったら自分は生活していけるのだろうか」と。

個の力が試される時代

うちの嫁は日本語学科出身なのですが、大学の花形的存在は工学部や経済学部であり、残念ながら日本語学科はマイナー学部の一つに過ぎません。当時経済学部の人間から

経済学部
何のために日本語なんて勉強しているの?何の役に立つの?

という軽蔑交じりのことを言われたことがあるそうですが、嫁の回答はこんな感じ。

嫁(日本語学科)
日本語を勉強しているおかげで日本人へのインドネシア語の家庭教師としてお金を稼げるわ

この言葉の破壊力はすごい。

嫁(日本語学科)
私は家庭教師でお金を稼いでいるけど経済学部のあんたは自分でお金稼げてるの?

とまでは言わなかったようですが、自分が言われたらグウの音も出ないでしょう。

どんなに「こんな立派な仕事ができるんだぞー」と理屈をこねたって、組織を離れれば自分の生活力のなさを知らされ唖然とする。アパート賃貸収入、株式投資、フリーランスで仕事、などなど何でもいいんで独力で収入を確保できるかというのは非常に重要だと思います。

こう考えると年齢とか学歴とかあまり意味ないかもしれません。

生活力を測るには組織を出たときにいかに生活していけるか、というシミュレーションをしないと見えてこない。そういう意味ではやっぱインドネシア人は生活力高いです。

まあそこら辺にバナナとカンクンが生えている熱帯気候のインドネシアは日本よりも飢え死にのリスクは低いので「とりあえず何かやってみようか」というように、何事も躊躇せず自分で背中を押しやす環境にあるとも言えます。